こんにちは。二助企画です。
これまでこのコラムでは、三猿の教えの源流ともいわれている「七猿歌」について触れてきました。
せっかくなので今回は、「おサルに願いを」シリーズの番外編として、おサルさんを題材にした歌や、猿まわしをテーマにした句をいくつかご紹介してみたいと思います。
まずは、「日本臨済禅中興の祖」と称される白隠禅師の著作『八重葎(やえむぐら)』にある和歌です。
見ざる聞かざる云(い)わざる猿の三つよりも
かまわざるこそ まざる猿なり
こちらは三猿について言及したうえで、四番目の猿、「かまわざる」について詠んだ歌です。(四番目の猿は「思わざる」あるいは「かまわざる」として解釈されることがあるようです。)
この歌については、「かまわざる」、つまり「とらわれない」という姿勢は、自分勝手に振る舞うことではなく、自分の執着を手放し、他人には寛大であるという心のあり方を示しているのではないか、と説明されています(以上、臨済禅・黄檗禅公式サイトより)。
三猿の教えが「見ない・聞かない・言わない」という行いを戒めとして示しているのに対し、白隠禅師はそこにもう一歩踏み込み、「とらわれない心」を説いているとも言えるのかもしれません。三猿の教えを、禅の視点からさらに深めた一首という感じでしょうか。
次に、猿の鳴き声に、どこかうら寂しいような切なさを感じ取った歌をご紹介します。
夕づく日さすや嵐の山本に
物わびしらに猿さけぶなり
これは、平安時代の歌人・藤原仲実が詠んだもの。夕暮れの嵐山のふもとで響く猿の声に、どこか物悲しい情景を重ねた一首です。
そして、興味深いことに、猿の声に哀愁を感じていたのは、日本だけではないようです。中国の詩にも、よく似た情景が詠まれています。
猿を聞きて 実に三声の涙を下す (杜甫)
秋の寂しさを強調する、中国古典における典型的な情景描写の一つで、松尾芭蕉も『野ざらし紀行』の中でこの表現を引用しています。遠く山から聞こえてくる猿の声は、古くから人の心にもの悲しさを呼び起こす存在だったのかもしれません。
一方で、猿を題材にした句の中には、人間の姿を重ねて詠んだものもあります。二助企画らしく、猿まわしを題材にした句を紹介しましょう。
年々や 猿に着せたる猿の面 芭蕉
新しい年になり、猿まわしの猿に新しい面をかぶせたとしても、猿はやはり猿のまま。人もまた、年が改まったからといって、急に中身が変わるわけではない——。そんな少し皮肉を含んだ視点が感じられる一句です。
猿舞や 餅いただきて子にくれる 一茶
猿曳の 猿を抱いたる日暮れかな 紅葉
一茶の句には、猿まわしの猿が餅を子どもに分け与えるという微笑ましい情景が描かれ、紅葉の句には、猿回しの一日の終わりの静かな情景が浮かび上がります。
ちなみに、「猿舞」「猿曳」は、冬(新年・生活)の季語として扱われています。
さて、これまで「おサルに願いを」シリーズでは、三猿、四猿、七猿歌と、おサルさんにまつわる信仰や教えについて見てきました。番外編となる今回は、少し視点を変えて、歌や句の中に現れるおサルさんたちをご紹介してみました。
こうして振り返ってみると、おサルさんは、信仰、文学、芸能など、さまざまな文化の中に登場する、とても奥深く、愛すべき存在です!これからも、そんなおサルさんたちの魅力を、少しずつご紹介していけたらと思います。
二助企画は、日本の伝統芸能猿まわしのプロフェッショナル集団。
猿まわしやニホンザルのことについて、あらゆる領域から情報発信をしてまいります。
ブログは毎月2回、第1・3金曜日に公開予定。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう!
参考文献・サイト・取材協力
・世界の三猿: その源流をたずねて/飯田道夫 人文書院
・驚きの猿文化~世界のサル文化紀行から/上島亮 株式会社三重大学出版会
・山梨県立大学 芭蕉発句全集
https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/saru.htm
臨済禅 黄檗禅 公式サイト「臨黄ネット」>法話>白隠禅師のこころシリーズ〔7〕
他
※順不同
