こんにちは。二助企画です。
今回は、三猿と言えば!の日光東照宮の三猿についてのお話です。こちらの三猿は、あまりにも有名であるため、三猿の発祥だと信じている方も多いのですね。ただ、これまでのコラムでご紹介したように、知名度はピカイチですが、発祥というわけではないようです。
日光東照宮の「三猿」の彫刻は、東照宮境内、表門を入ってすぐ左手にある神厩舎(しんきゅうしゃ)と呼ばれる馬小屋の建物にあります。そのいきいきとした姿は、同じく日光東照宮の中の三大彫刻のひとつ、眠り猫と同様に左甚五郎のものだと言われています。
ちなみにですが、 前回ご紹介した会津にいる隠れ三猿さんも、同じく左甚五郎の作だと言われています。
神厩舎とはご神馬(神様に仕える馬)をつないでおく厩舎のこと。この建物の長押(なげし)と呼ばれる横木の上部に猿の彫刻が施されています。コラムでも何度も触れてきましたが、おサルさんは昔から馬の守り神と信じられてきたので、馬小屋におサルさんが祀られたのですね。
そして、この神厩舎の猿の彫刻。実は「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿だけではないのをご存じでしょうか?
神厩舎には、
・正面に5枚
・側面に3枚
の、合計8枚のパネルがあります。この8枚のパネルそれぞれに、おサルさんが彫られているのです。ここで会えるおサルさんは全部で16匹!
そして、これらの8枚のパネルのおサルさんたちは、正面左手から順番に、人の一生を語るような物語を表しているんです。
「見ざる・言わざる・聞かざる」の「三猿」は、正面左から2番目のパネルに施されたもの。長い物語の一部のシーンなのですね。
目、耳、口を両手で押さえるかわいらしい姿で、「幼い頃は、好奇心旺盛ではあるが、悪事を言ったり、聞いたりせずに、見たりせずに、良いことだけを受け入れて欲しい」という願いが込められています。
ちなみに、三猿は、「見ざる・聞かざる・言わざる」と言いますが、彫刻のおサルさんは、正面からみて、左から順に「聞かざる・言わざる・見ざる」です。つまり、右側から見ると「見ざる・言わざる・聞かざる」になる並びとなっています。
これは、ナゼなのか?
これはあくまで二助企画の推測なのですが、江戸時代は文字の書き方は縦書きが基本。横に書く場合も行の進行方向は右から左だったからでは?と思っています。そう考えるとこの順番に合点がいきませんか?
とは言え、16匹のおサルさんが施された8枚のパネルは、左から右へと物語が流れていきます(正面左が最初、側面壁の右手が最後)。当時の絵巻物は、右から左へ展開したそうなので、それとは逆ですね。ということは、三猿の順番にも、そんなに意味はなかったのかもしれませんが、、、。
16匹のおサルさん達が、8シーンに分かれて、どんなことを伝えているのか。具体的には、実際に日光東照宮に足を運ぶ楽しみになるよう、ここでのご紹介は割愛させていただきますね。
二助企画が注目したいのは、このようなおサルさんたちが、なぜ日光東照宮に施されているのか?ということ。
これは、日光東照宮が祀っている江戸幕府初代将軍・徳川家康が、中国の道教を深く信仰していたことに由来します。道教の示す思想を参照し、猿の一生を通して、人間としての正しい生き方を表しているということなのです。
そしてここで再び注目したいのが、中国の道教。
日本には、数多くの民間信仰がありますが、そのうちの一つに庚申信仰というものがあります。この庚申信仰は、「申」の文字が入ることから予想できるように、三猿とも深いかかわりがあるのです。
次回からは、庚申信仰の三猿について、ご紹介していきますね。
二助企画は、日本の伝統芸能猿まわしのプロフェッショナル集団。
猿まわしやニホンザルのことについて、あらゆる領域から情報発信をしてまいります。
ブログは毎月2回、第1・3金曜日に公開予定。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう!
参考文献・サイト・取材協力
・世界の三猿: その源流をたずねて/飯田 道夫 人文書院
・驚きの猿文化~世界のサル文化紀行から/上島亮 株式会社三重大学出版会
・日光東照宮
・日光東照宮ナビ まるっとガイド>日光東照宮の三猿はなぜ作られた? 神厩舎(馬小屋)に守護猿を彫った左甚五郎の謎
https://tourist-topics.com/god-stable/
・極上の会津>エリア別観光情報 北エリア 左甚五郎作「隠れ三猿」(鳥追観音)
https://gokujo-aizu.com/areainfo/12210
・日光東照宮 御朱印
https://xn----107a39dd7nq6e48ksicsok45e.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/#google_vignette
・印刷博物館>印刷博物館ニュース>vol.86 - 特集2 –
他