こんにちは。二助企画です。
突然ですが、ここで和歌を一首。
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき
恐らく皆さんも一度は耳にしたことがありますね。藤原定家の小倉百人一首に選ばれて、ひろく知られている猿丸大夫の歌です。
このコラムのテーマであるおサルさんの名を含む猿丸大夫は、三十六歌仙の一人として知られています。しかし、実はその出生来歴は謎に包まれており、実在についても不明とされているのですが、全国には、猿丸大夫を祀る神社が20数か所も存在します。
その代表格とも言えるのが、京都の宇治田原にある猿丸神社。
おサルに願いをシリーズ19回目は、この猿丸神社についてのご紹介です。
その始まりは、はるか昔、平安時代の末期。もともとは、現在の滋賀縣大津市に猿丸大夫の墓があったとされており、それが江戸時代初期にほぼ現在地に近い場所へ。その霊廟に神社を創建したのが始まりとされています。
人里離れた山奥深いところにあり、現在でも気軽には訪れられない場所にあります。祭日には臨時バスが出ますが、普段は公共交通機関で訪れると最寄りのバス停からなんと徒歩40分。訪れる際には、お車をお勧めします。
(画像:二助企画)
表参道の石段を上ると、中腹に手水舎があります。その少し上の右手で、まず夫婦猿が参拝者をお迎えしてくれます。この夫婦猿がなかなか見事。仲睦まじく寄り添う2匹のおサルさんは、自然石で、人が彫って創ったものではないそう。この石段を作るときに同時にこちらに祀られたとのことですが、なんとも見ごたえがあります。
(画像:二助企画)
そして石段を更に上ると、御祭神である猿丸大夫を祀っている本殿が。その前には一対の神使である、石像のおサルさんがいます。
まず、向かって右側の猿像がこちら。
(画像:二助企画)
右手に貨幣を持ち、頭には烏帽子をかぶっています。おサルさんが座る石台の側面には「猿丸」の文字。
そして、左側にあるのがこちらの猿像
(画像・二助企画)
右手には杖、左手には玉を持ち、右のおサルさん同様に烏帽子をかぶっています。右手のおサルさんにくらべて少しだけスリムな印象。石台の側面には、「大野木」の文字。
こちらに「猿丸」「大野木」の文字が彫られていることについて宮司さんにお伺いしたところ、この猿像の歴史について知ることができました。
猿丸太夫の末裔といわれている猿丸家が、現在も芦屋市に続いているのですが、昭和23年から27年にかけて芦屋市長を務められた猿丸吉左衛門氏は、この猿丸家の方。その娘さんが嫁いだ先が、山科の大野木家であったとのこと。
この両家が奉納したものであるため石台に「猿丸」と「小野木」の文字が彫られたとのことでした。これが今から50年ほど前のお話。
印象的だったのは、宮司さんが両家の猿像の奉納について「本当につい最近のこと」と表現されていたこと。一般の方は50年と言えば長く感じる年月かと思いますが、長い歴史を持つ神社の方にとっては、確かに「つい最近のこと」であると感じるのだなと、その言葉が妙に耳に残りました。
さて、すっかり長くなりました。猿丸神社で会えるおサルさんはこの4匹の他にもいるのですが、それは次回にご紹介することにしますね。
二助企画は、日本の伝統芸能猿まわしのプロフェッショナル集団。
猿まわしやニホンザルのことについて、あらゆる領域から情報発信をしてまいります。
ブログは毎月2回、第1・3金曜日に公開予定。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう!
参考文献・サイト・取材協力
・猿丸神社
・芦屋猿丸家と猿丸大夫の謎/武庫川女子大学リポジトリ
https://mukogawa.repo.nii.ac.jp/record/1227/files/P87-99.pdf
ほか